兎に書く

現役ライターたちによるノンジャンルブログ

「威圧感」の巻

「やっぱり、その『オーラ』とか『威圧感』っていうんですか?凄かったですよね……」

 

 成功者や有名人に会った、という、特に聞く側に実りのない自慢をしてくる人はこんな感想ばかり述べる。もちろん、私の偏見ではあるが。私にはこの「オーラ」というものがあまりピンとこないのである。今日にいたるまでに出会った、尊敬すべき人物は数えきれないが、「オーラ」というものを感じたことは一度もなかった。私が鈍いだけなのか、それとも、感じてはいたがその言葉を頭から引っ張り出してこれなかったのか…正直に言って存在も疑っている。では「威圧感」はというと、確かに似たような想いはあるが、こちらの言葉には、野球好きとして少しだけ馴染みがある。

 

 

「えー……『威圧感』狙うの?」

 ブラウン管の真ん中にお嬢様ルックの大柄な女性が映る度、友人のS君はこう言って苦笑いを浮かべていた。

 小学生の頃、私の周りでは野球ゲームの「実況パワフルプロ野球」が流行っていた。「サクセス」というストーリーを進めながらオリジナルの選手を作るモードが人気で、学校が終われば誰かの家に集まって、コントローラーを持つ友人のプレイにあーだーこーだとアドバイスをして盛り上がり、夜になってそれぞれ家に帰れば、明日皆に自慢するスーパースターの育成に各自余念がなかった。

 選手にはパワーや走力、肩力などの基礎的な能力の他に、逆方向に打つのが上手い選手には「流し打ち」、試合の序盤に打たれやすい投手は「スロースターター」などの特殊能力がついている。

 

 私のお気に入りの能力、それが「威圧感」だった。

 この能力は、投手が持っていれば相手打者の、打者が持っていれば相手投手の能力が下がる。威圧された相手が委縮してしまう、ということなのだろう。10数年しか生きていない少年に「威圧感」なんてものを実感した経験はなかったが、当時読んでいた少年漫画には「なんて威圧感だ……!」などと言われ、不敵な笑みを浮かべる悪役が出てきていたし、何より文字面の格好良さは少年心をくすぐった。

 

 けれど、この「威圧感」という能力、「サクセス」での取得条件はとてもシビアだった。ゲームの主人公はストーリーの中で彼女を作ることが出来るのだが、名前だけだと超絶美少女の「姫野カレン」という、関取のような体形をしたロリータファッションの女性と付き合い、親愛度を最高まで上げなければならない。かわいらしい彼女候補が何人もいる中でカレンと付き合えば、友人からは「あいつ、あんなのが趣味なんだってー!」と馬鹿にされる。周りの目が気になってしょうがないお年頃にはなかなか辛いものがあったが、理想的な能力と「威圧感」を持った名選手を作るため、私は何度も何度もカレンと付き合い(もはや弄んでいるに近いが)、その時間は400時間を超えていた。当時の私にとって「威圧感」は「感じる」ものではなく、「狙う」もの、「獲る」ものだった。

 

 

 

 それから数年が経ち、高校生になった私は、S君と一緒に楽天イーグルスの本拠地の球場でアルバイトをしていた。テスト期間以外は、ほぼ毎試合バイトに入っていたと思う。

 夏の終わりのある日曜日、バイトへ向かった私たちは、いつもの様に自転車で球場に着き、駐輪場から関係者入口へ向かっていた。入口の前に着いたとき、ひとりのお年寄りが私たちの前を横切ろうとして、目の前で足を止めた。スーツを着た男性数人が周りを取り囲んでいるのを見て、スポンサーのお偉いさんか、始球式に出る有名人かな…と思っていると、お年寄りは顔をこちらに向け目線を合わせてくる。

 

 その瞬間、私たちは動けなくなった。

 相手は身長2メートルの大男でもなければ、顔に傷のある強面でもない。僕らと同じくらいの身長をした小太りで白髪のお年寄りだ。見た目から特に怯える要素がないにもかかわらず、その不機嫌な表情と鋭い眼光で睨まれると、私たちは動くことはおろか、声すら発することができなかった。それは緊張というより、畏怖、もしくは動物的な本能に近い。「蛇に睨まれた蛙」とは、まさにこのことを言うのだろう。止まった時間の中で、両肩には大男に強い力でつかまれている様な重みを感じた。ものの例えで「足に根が生えたように」と言うが、地面に根が生えたというより、地面から生えた蔦に搦め捕られたような気分だった。

 

 お年寄りは私たちを交互に2、3度見た後、前を横切り去っていった。数秒後、二匹の蛙は我に返って顔を見合わせる。無意識に息を止めていたのだろう、S君の荒い呼吸の音を今でも覚えている。

 それから私たちは無言でバイト先のロッカーに向かった。着替えながらS君が小さな声でつぶやいた。

 

「あれが……『威圧感』ってやつかな?」

 ロッカーに貼ってあった球団のポスターの中央には、先ほどのお年寄りが「19」番の背番号を背負ってユニフォーム姿で写っていた。

 

 

 その年、楽天イーグルスは球団初のAクラスでペナントレースを終えた。その立役者は何と言っても背番号「19」である。

「生涯一捕手」と言った彼は、契約金0円のテスト生でプロ入りしたという。そのようなスタートから球史に残る名捕手に駆け上がるまで、どれほどの努力をし、どれだけの窮地を乗り越えてきたのか。当たり前だが、私の400時間など、比べものになるはずもない。私たちが感じた「威圧感」、それは癖のある女性と付き合って得れるようなものではなく(沙知代夫人は癖のある方ではあったが)、これまでの経験と、ペナントレース終盤、大事な試合に臨む勝負師としての覚悟、その重みの一部だったのではないだろうか。

 彼はチーム初の快挙を打ち立てたと同時にユニフォームを脱いだが、その後メディアなどで見かけるたびに私はあの時のピリピリとした感覚を思い出して鳥肌立ったものだった。

 

 先月、背番号「19」は84歳の生涯を閉じた。

結局私がここで書いていることは、「有名人に『威圧感』があった」という、聞く側に実りのないただの自慢話なのかもしれない。だがその雄姿をもう見ることができないからこそ、いち野球ファンとして、肌で感じることのできた偉大さの一片を語ることにも意味はあるのかなと思っている。自己満足と言われればそれまでだが。

 

 訃報を聞いて数日後、私は「実況パワフルプロ野球」の最新作を中古で買った。もちろんプレイするのは「サクセス」だ。ポジションはキャッチャー、名前は「野村」にした。久々にこのシリーズをプレイするので、勝手が違うことに戸惑っている最中だが、とりあえず、「カレン」と付き合うところから始めてみようと思う。

 

 

<書いた人>

出田ラメ / 宮崎県生まれ宮城県育ちのアラサーライター。大学時代は塚本晋也に師事し、短編映画を制作。その後、映画スタッフ、事務職などを経て、ゲーム業界へ。ブラウザースマートフォン向けのソーシャルゲームの開発に参加、現在は主にシナリオ執筆を従事。眼鏡がないと自宅内ですら歩けないほどのド近眼。趣味はラジオ鑑賞。特技はアイロンがけ。