兎に書く

現役ライターたちによるノンジャンルブログ

足りないものは愛と800円

久々にFacebookを開いたら、2分で吐き気を催しました。
ギラギラした世界に身体がついていけない。頑張れわたしの三半規管。
昼からホテルビュッフェだとか、エステサロンに行っただとか、わたしにとってはひと記事ひと記事がクリーム増し増しなラーメン二郎のようなもので。
ラーメン二郎、食べたことないけど。

 

 
ちょうど、今日のランチのお釣りが800円だったので、目白の男のことをふと思い出した。800円って、結構なんでもできると思う。
800円もあれば、ココイチでたまごトッピングしたカレーも食べられるし、国分寺から奥多摩まで行ける。
たかが800円、されど800円。

 

令和のわたしは清廉潔白に生きようと決めた。
だが、平成のわたしにとって、セックスはスポーツだった。
テニスとペニスって響きが似てるからさとか、そんな適当な理由をつけては適当な男と適当な夜を過ごしていた。
息を切らし、汗をかく。
そこだけ聞けばなんら変わりない。
ただ、事後には勝利なんて輝かしいものはなく、互いの体液が混ざりあった泥仕合であったという結果だけが残る。
まったく不毛なスポーツである。

 

東京に来て一年目の秋。
上司に呼ばれ、取り引き先の相手と飲む機会があった。
そこで目白の男と出会った。
しきりに自分の肩書きである部長をアピールしてきたので、以降は「部長」とする。

部長は最初からわたしのことを下の名前で呼ぶような男だった。

 

「塩子は酒好きなの?」
「安く飲めれば最高です」
「俺、いいところ知ってるんだけど、2軒目行かない?」
「えー、ほんとですか?」

 

新卒はフレッシュだから、という理由で生搾りばかり飲まされていた。
右手には常に生搾りレモンサワー。
おい、誰か日本酒熱燗と交換してくれ。

可愛らしく生搾り系サワーをメニューの右から順に制覇していくわたしの向かいで、部長はいろんなことを話していく。興味が無いのと、酒に酔ったわたしの頭では、記憶力なんてミジンコレベルだった。

その日は何も無く終えたのだが、後日、部長から頻繁に連絡が来るようになった。
明日は行きつけの店で酒が安い日だから飲もうだとか、今日は飲酒(14日)の日だから飲もうだとか、水曜日は水の代わりに酒を飲んでもいい日だから飲もうだとか。途中からもう、すべてこじつけである。さすがに部長には家族がいる手前、土日は誘ってこなかったが、連絡してくる回数は頻繁だった。たまごっちか。


ついに会ってから一ヶ月後、いい酒の日(11日)だからとタダ酒が飲めるよと言われ、目白に赴いた。これもまたこじつけで、お店では特にフェアなどはやっておらず、部長の奢りという意味だった。

当時東京に来たてのわたしは土地勘が無いため、目白と言われてもわからず、待ち合わせ時間からだいぶ遅れて到着した。


酒を飲んで、適度にいい気分になった頃合に、ホテルへと誘われた。

 

一瞬だけ理性が戻ったのか、はたまた欲が出たのか、気がつくと部長の薬指の金環は洗面所に置かれていた。

 

試合終了後、すぐに服を着替え、退出時間まで20分くらいあったが、わたしはほとんどスマホと相対していた。へー(#)とかふーん(#)とか、シャープつきの半音上げて可愛い相槌を打てば、部長は楽しげに話をしていた。内容はゴルフのスコアがよかったとか、サーフィンを初めてやったとか、たぶんそんな感じだったと思う。C調言葉にご用心ですよ、ほんと。

帰りにタクシー代と言ってお札を何枚か握らされ、ホテルを出た。ホテル代も飲み代もタクシー代も出してもらってやったね!……と、嬉しく思っていた矢先。握ったお札を確認する。これ、お釣りは貰っていいってことかな?タクシーに乗り、目白から自分の最寄駅名を告げ、手のひらをひらく。

 

そこには野口英世が4人、肩を組んでいた。
英世カルテット。

 

なぜだか、一気に冷めてしまった。
タクシーから見た東京の街並みは、深夜二時であるにも関わらず、夕方と遜色無くギラギラと輝いていた。

 

家に着いたのは三時を過ぎており、タクシーのメーターには4800円と表示されていた。
800円足りない。
今日初めて鞄の外の空気を吸った財布は、軽快な音とともに小銭を吐き出した。


不倫は文化だという時代は終わった。そもそも文化でもなんでもない。断じて浮気ではない。少なくともわたしの場合だ。不倫をされてる側からすればわたしも同罪なのかもしれないが。たまったもんじゃないよな。「好き」とも「愛してる」とも言わなかったし、わたしから連絡するなんてことは一度もなかった。そもそも、目白の男を好きでも嫌いでもなく、本当に興味がなかった。


あの日以降、いままで以上に連絡頻度は増え、いちいち返信するのも面倒になった。
会社を辞めると同時に、部長の連絡先を消した。もう会うことはない。


あとでFacebookで知ったのだが、部長は大学時代のテニスサークルで部長をしていたようだった。

 

おわり

 

<書いた人>

ウユニ塩子 / 芸大卒だけど絵は描いてない。文章を書いて生きていこうと思い立つが、現在ゲーム開発職。笑ってくれたら幸いです。